まず致命的な欠陥として

 文章を書いたことのない人間はいきなりブログを渡されて「毎日誰かに読ませるつもりで内容を更新しろ」と言われても何も書けないということです。

 まずは短文でも意味不明でもとにかく何か書かせる訓練から始めないと、ものを書くという行為自体をろくにしことのない人間(Twitter2ちゃんねる等の投稿はまた別物)は何も出来ないのではないでしょうか。

 先ほどTwitterやネット上の掲示板の話題を出しましたが、これらに頻繁に書き込んでいたとしてもイコール文章を書けるということには当然ならないと思います。それらに投稿される文章は総じて短文であることが多く、また他人に読まれるということ、読者の存在を想定していないものがほとんどであると思われます。そもそもの目的として、それらネット上の匿名コミュニティーに文章を投下するのは他人に読んでもらうためではなく、自分の感情を吐き出したいからという面が大きい。文字通りの書き捨てです。うまくすれば同好の士が返信を返してくるのではないか、程度のスケベ心はあるかもしれませんが。

 もちろん私はこのブログ、この機会を投げ出すつもりはありません。私の人生はすでに崖っぷち、どころかすでに崖から落下して激突の瞬間を待つだけの段階です。差し伸べられた手は絶対に離しませんし離せません。犍陀多がお釈迦様の手を振り払うことなどありえましょうか。今の自分にできることは、とにかく何かを書くことです。まず何らかの文章を書き続けることです。

 しかし思い返してみれば、なんと空虚な人生を送ってきたことでしょう。いざ何事かを書こうと思いブログの画面に向き合っても、何一つ書くことが出て来ないのです。この世に生を受けてから一万日をとうに越え、三十路を過ぎても自分で立つどころか自分が何を考え何を記したいのかすらわからない有様です。なんてみっともない人生なのか。

 ただただ無駄に浪費されただけの日々。何も積み上げてこなかった人間の生涯。私の半分も生きていない中学生、下手をすれば小学生ですらも私より豊富な人生経験を持っている可能性さえあります。人生経験とは経過した時間の長さではありませんし、何をどれだけやったか、という事ともまた違う。一つの経験から何を得たかということです。たとえ世界一周旅行をしても、その同中夢も見ずにずっと眠っていたのでは何の意味もないのです。

 もうすぐ一千字です。長い。あまりにも長い。しかし、書くのをやめることは闇に射した一条の光の前で自分の目を潰すと同じことです。精一杯努めます。どうか私を見捨てないでください。拝。